2024年4月24日水曜日

自分の顔を撮ってみたくなった。
ポートレート自体が対象の容姿や輪郭を表わすものだというのに、今までそれとは異なる種のものばかりつくっていたし。顔面の接写ばかりを載せたヘルマー・レルスキの写真集「Metamorphosis through Light」が頭に残っていて、率直に同じことをしてみようと思った。

当然だけれど同じようなものは出来上がらなかった。初めはちょっとヘルマーと同じようにしようと努めたけど、結局はいつものように、像を重ね、影を引き延ばし、正体をなし崩しにした。
一通り撮り終え満足してから、へルマーの真似に心身を込めた最初の数枚、そこに写る自身の顔を眺めてみた。そこにあるのは確かな既視感だけで、自愛の念も哀愁も、まして嫌悪も何にもなかった。ただ心満ち満ちた感じ。何かの腹わたを、確実に、己の腕力を以て力強く掴み取ったような心地がする。

自分の体がそうである以上に、自分の顔は自分であることを何よりも決定付けている。顔を含めたその体を巡る血液や遺伝子こそが、科学的には個人識別の決定因子だということは分かりきっていても、それでも、顔というものの存在がその人をその人たらしめることに多くの人が肯んずる。

今日、姉がめでたく第一子を出産した。無事な出産だったことに一家が安堵し、姉が送ってくれた赤ちゃんの写真を眺めた。最初に目が向いたのは言うまでもなく赤ちゃんの顔である。あぁ、姉と義兄の子だと、そう思った。

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