Thursday, April the 11th, 2024
暮らす場所と働く場所とを、多くの人がそれぞれに設けている。
その二拠点を日々往復する中、熱意に満ち満ちた気持ちでいることもあれば、散々に乱れた心地もあるし、待ち受けてくれる人のもとへ一刻も早く「戻りたい」気持ちにもなる。
「戻る」
この言い回しに違和感がないのは、往復する二拠点のうち暮らす場所こそが原初的に元来から自身が存在する場所かのように捉えている証拠ではないだろうか。
旅行か何かで遠方へ発っても、働き先に泊まり込みになっても、いつかはきっと暮らしの場へと戻る。
それが仮初の住まいであったとしても、最後には人間の一つの生活態度である暮らすことに帰着する。
生まれた地を発って国外で長年活動を続けていた巨匠が、成熟し老齢した頃に故郷に身を据えるというのはよくよく耳にすることだが、これがまるで一つの人間本能かのように働いている。
元来WEBテクノロジー業界のSOHO・SMBで一般的だった在宅ワークも、コロナ禍を経て多くの産業分野に取り入れられるようになった。ただ、彼らにとっても「戻る」ことは同様に訪れる。
家屋内を空間的に区切ることや、デスクワークに適した環境を用意することで室内またその一角を働く場所に変え、それが終わると家屋内の暮らしの空間に再配置したり環境をリセットすることで、本能として帰着すべき態度へと「戻る」のだ。
暮らしの場をそうたらしめるのは、前述したような空間それ自体もありそこをアレンジする所有品、暮らしに必要な設備などが挙げられるが、何より決定的なのはその場を共有する共生者の存在ではないだろうか。
どれだけ自分のもので満たそうとも、自分にとって最適な空間にしようとも、今の私の暮らしの場がそうたり得ないのは、そのわずか一点が欠けているからに他ならないのだろう。