第n人称の断片
「素景」は、その地に漂い続ける不変の、空気感 / 景観 / イメージを指す。
これを目撃しようと客観視点に立つことを強いる写真を用いても、決してそこに純粋な「素景」は現れない。
写るのは極めて断片的な「素景」の一部か、自身の記憶 / 感性と結びついた主観的「素景」だ。
そうした捉えがたい「素景」を、素景を捉えようとする撮影者:私自身の中に見出そうとした時、そこに写るのは何だろうか。
やはりそれも単なる自己の「素景」の断片なのだろうか。主観に満ちた「素景」に過ぎないのだろうか。
しかし大前提として、自己とは人称不定で無限に重複する存在なのであり、そこに「素景」などあるものなのだろうか。