プリントの問題を解き終えた子から、次々に校庭へと繰り出していく。

ちらりと教室の窓を一見すると、すぐに解き終えてしまって、遊具で遊んでいたりボールの投げ合いっこをする子たちがいる。まだ他のクラスでは授業が続く時間で、その優越に浸っていつも以上に騒ぎ立てている。

解き終わっておもむろに席を立とうとするけれど、一向プリントと睨めっこを続けるクラスメイトを目にすると何故だか後ろめたい気持ちがした。とびきりにボール遊びが苦手だったから校庭や体育館には行かず、まだ先生の授業の声がこだまする廊下をぶらついた。

できることなら、少なくとも、僕の親しい友達にだけでも、その時好きだった子にだけでも、「どこが分からない?」と聞いてあげたかった。

決めてしまったら、もうその後はただやるだけなのだという。

僕が決めて、ただやり続けているのは、誰かの力になりたいということ。そのためにも、人の求めることをしてあげたい。優しくしたい。

仮に、そうして小学校の4年生の時から心を決めてしまっていたらならば、問題を解けないでいるクラスメイトみなみなに声をかけてまわっただろう。ただそんなにも早熟で聖人気質な小学4年生なんているはずはなく、もう少し長く、大人になった頃、ようやくやろうと心を決めるものだ。

おちゃらけが過ぎて、クラスの一人に悲しい思いをさせて、僕の父さんが向こうのお宅にまで行って謝ったことがあった。その時に反省文を書いて本人にもしっかりと謝って、人がやられて嫌なことは絶対にやらないと心に誓った。そう誓ったけど、多分その後でも、どこかしらで知らず知らずに人に嫌な思いをさせているんだろうと思う。そんなに気にはしていないけど。

決めることそれ自体は、大人になると案外簡単なものだと気が付く。先に挙げたことの他にも、もう2、3は決めていることがある。ただやり続けること。それがどれほど険しく危うく、漫然で強情なことか。それでいて、美しく雄大なことか。

Self nude portrait No.37 _ The Nth-person Self portrait Parallel Documentation

2024年12月7日 土曜日 午後17時21分
目黒 男子寮にて

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